名古屋港の金城ふ頭に入港中の戦艦ミズーリを見に行ってきました。
ミズーリは高さが63.9mもあり、水面から55mの名港中央大橋をくぐることができないので、ガーデンふ頭ではなく貨物用の金城ふ頭に接岸となりました。
16インチ(40.6cm)の主砲です。1袋50kgの火薬を6個使用して37km先まで砲弾をぶっ飛ばします。
昭和20年9月2日、東京湾上のミズーリのデッキで日本の降伏文書調印式が行われました。マッカーサー元帥をはじめとする連合国9カ国代表に対して日本側は重光葵(しげみつまもる)外務大臣、梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長など11名が出席し、第二次世界大戦が公式に終結を迎えました。
マッカーサーが降りてきた階段です。マッカーサーはアメリカ陸軍元帥なので海軍の戦艦上で調印式を行うのに不快感を示し、2分遅れて調印式が行われるデッキに降りてきたと言われていますが真偽のほどは定かではありません。海軍と陸軍の仲が悪いのはどこの国も同じですね。
昭和20年4月11日、沖縄に向かうミズーリに神風特別攻撃隊が突入して衝突した跡が残っています。真ん中あたりのくぼみが衝突跡です。特攻隊員の遺体がデッキで見つかり、ミズーリのウィリアム・キャラハン艦長はその勇敢な任務の遂行を称え、翌日海軍式の水葬で弔いました。
ミズーリはその後、昭和25年に朝鮮戦争に出動し、昭和30年に一旦退役しましたが、トマホークミサイル32基を備えて近代化され、平成3年復役し湾岸戦争に出動しました。
ペルシャ湾に展開している当時の作戦行動の様子が司令塔の中に残っています。
最近では平成24年に映画「バトルシップ」の中で再び出動して主砲が火を噴いていますね。
ミズーリが名古屋港に寄港しているというのは冗談です。本当は真珠湾に戦艦ミズーリ記念館として公開されています。
こちらはミズーリの近くの戦艦アリゾナ記念館です。
アリゾナは昭和16年12月8日、日本海軍の南雲忠一中将率いる機動部隊の真珠湾攻撃によって沈みました。アリゾナと共に海に沈んで犠牲となった乗組員1102名を追悼するために沈んだままのアリゾナの上に「アリゾナ記念館」が建てられました。
アリゾナの主砲の台座部分が水面の上に出たまま残っています。
沈んでから70年以上も経った今でもアリゾナからもれた重油が海面に浮かんでおり、これは「アリゾナの涙」と呼ばれています。
さて戦艦ミズーリ記念館、アリゾナ記念館などの真珠湾の施設を訪れてわかるのは、国のために命を落として帰って来られなかった兵士たちを称え追悼する気持ちはどこの国も同じであり、それは自国の兵士だけではなく敵国の兵士に対しても同じであるということです。そしてどんな理屈をつけても戦争は悲惨であり、2度と日本は戦争をしてはならないと思い知らされることです。
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